狭小住宅の間取りプランをご提案:東京都中央区の則武工務店

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2つの真逆の言葉が、工務店三代目の私の原動力
亡き母に誇れる家づくりを約束します!


祖父の復興の精神を受け継ぎ、安心で安全な家づくりを。


重要文化財の建設に携わる


祖父は1922年、東京都中央区で工務店を創業しました。


関東大震災と戦後の焼け野原からの復興にも街づくりを通して貢献しました。


パイオニア精神の固まりだった祖父は、現在の地域の礎を築いたひとりでもあり、  「家づくりは街づくりに繋がる」と言う心意気で復興に力を注いだ人でした。


国内最大級の「跳開橋」として有名な「勝どき橋」の建設にも携わり、その頃は30人程の職人さん達を毎日導入し、祖母が職人さんたちの炊き出しに精を出していたという話をよく聞かされました。


1940年に完成し、今では国の重要文化財に指定されているこの「勝どき橋」に自分の祖父が関わっていた事は私の大きな誇りです。


現場は大きな遊びだった


少年の頃、日曜日や夏休みなど父に連れられ現場に兄と行くようになりました。
そこは私に与えられた大きな遊び場で、しかも行く度に変化しいく最高の遊び場でした


大勢の勢いのある職人さん達をまとめて、1つの建物を造り上げていく祖父と父の姿はとてもかっこよく大きな目標でもありました。


父はよく言っていました。


「家づくりはお客様にとって、一生で一度の大きな買い物、その大切な行事に参加させて頂くことをありがたく思い、形に残る家づくりの仕事を誇りに思っている」
私は、そんな素敵な思いで仕事をしている父に憧れ、大きくなったら必ずこの則武工務店で「家づくり」の道に進もうと固く決意していました。


友人宅をリフォーム


高校生の時、友人にも工務店の仕事についてよく話をしていました。


そんなある日、友人から「自分の部屋のリフォームを則武工務店でやって欲しい」と相談を持ちかけられました。


最初のうちは友人のお母さんも子ども同士の話として取り合ってくれませんでしたが、私と友人が熱心にリフォームプランを話すうちに、工事を認めてくれました。


材料の注文や工程のことなどを父に相談し、材料運びの手伝いなどもして、毎日現場へ足を運びました。
日に日に出来あがっていく様子にワクワクしたのを覚えています。


工事は無事に完成しました。
とにかく嬉しかった。
友人もとても喜んでくれましたが、一番嬉しかったのは自分だったかもしれません。


友人の望むようにリフォーム出来たこと、友人が満足してくれたこと、こんなに嬉しく感じるとは思いませんでした。


ますます工務店への気持ちは膨らむ一方でした。


地元には祖父と父が建てた建物がいくつもあり、仕事の証しが形に残っていることを本当に誇らしく思い、早く則武工務店で父達と一緒に仕事がしたい、と待ちわびていました


魔の9カ月間


でも19才の時、人生が真っ暗になる出来事が起きました。


体調を崩し9カ月間入院生活を送ることになったのです。
その間に迎えることとなった20歳の誕生日と成人式は、なんとか病院から外泊許可をもらって家族と迎えることができたくらいです。


多感な思春期の入院生活で、この先の将来も何もかもを悲観していました。


後日、母から「毎週の面会後、自宅へ戻る車中は涙が止まらなかった」と聞かされ、でも、どうすることもできず情けない気持ちでいっぱいでした。


母は祖母の代から工務店の経理を任されながら、私たち3人兄妹を育ててくれました。
大変な毎日だったと思います。やっと私たちも成長して、手が離れる頃にまた気苦労を掛けさせてしまいました。


退院後も精神的に不安定な時期も続き、少年の頃に思い描いた工務店への意欲もすっかり失せていました。


ニュージーランド行きがその後の転機へ


なかなか以前のような生活を取り戻せず、何に対しても前へ進めない日々が何年も続きました。


私自身どうして良いかわからず、不安で暗い日々を過ごしていました。この間、家族にも、特に母には本当に心配を掛けさせ、とても辛い思いさせてしまいました。


その後、少しずつですが工務店の仕事の手伝いが出来るようになりました。


そのバイトのお金を貯めて、以前から行きたいと思っていたニュージーランドへ思い切って1ヵ月間留学したのです。今思えばよく行けたと思います。


ニュージーランドはラグビーの本場であるため、現地の影響を受けラグビーに目覚めてしまい、帰国後はラグビーのクラブチームにも入り、その後の大切な仲間とも知り合うことが出来ました。


時間はかなり掛かってしまいましたが、こうして家族や知人の温かい支えのお陰で、少しずつ前向きな生活ができるようになり、工務店への意欲も再燃してきました。


工務店へ入社


そして25才で則武工務店に正式に働き始めました。
ただ、知識はほぼゼロ。このままでは駄目だと感じ、専門的に建築の勉強しようと、夜間の大学へも通い始めました。


18、19才の学生と勉強することは自分を見つめ直す良い経験になったと思います。


こうして自分なりに努力をしながら仕事もこなしていく日々が過ぎて行きました。


お得意様からの信頼を失う


ある時、祖父の代からお付き合いのあるお得意様から医院改築の話を頂きました。
設計者もこちらで紹介した方で決まり、何度も打合せを重ねてプランを検討していきました。


しかし、そのビックチャンスも仮医院建築の段階で私のミスによって信頼を失い、その仕事を手放すことになってしまいました。


お客様の立場で考えれば直ぐにわかった事を見過ごしてしまったのです。


「則武さんにお願いするのは心配になりました。」
今までの笑顔とは打って変わって沈んだお顔で話されました。


その言葉と表情は一生忘れられません。


笑顔と期待を奪ってしまった。


そして、長いお付き合いの大切なお得意様だったので、家族へも申し訳ない気持ちでいっぱいで、自分が情けなく強く反省しました。


昔からのお付き合いだからもちろん仕事はうちに依頼してくれる、という「奢り」がお客様の思いをくみ取れず、信頼を失うことになってしまったのです。


失敗から得たこと


その失敗から、ご要望を細部まで聞き逃さず、家づくりは一生の仕事であることを改めて自覚し、その責任の重大さを痛感しました。


自分の都合や工程の都合ではなく、まずお客様がどうしたいか。
そのご要望に、どれだけ誠実に真剣に耳を傾けるか。


そんな思いで一つ一つの仕事を続けていると、
以前建てさせて頂いたお客様から、息子さんのお宅を建てるご相談をいただきました。


もう、前回のような失敗は繰り返さない。
お客様の笑顔を失いたくない。


設計の段階から全てを任されました。最初は賃貸で人に貸せるように作り、将来はご自分たちが住む時に大きく間取りが変更しやすい家にして欲しいと言うご要望でした。


そういったプランは私には初めてでした。


そこで私よりも知識・経験のある兄にも相談し、現場では大工の棟梁に梁や柱の構造を一から教わり勉強しました。


その結果、息子さんにもご満足頂ける家が完成しました。


その時にお母様が言われた言葉、これも一生忘れることが出来ません。


「則武さんを信頼しお願いして本当に良かった。これからは息子の代になりますが末永くお付き合い下さいね。」



本当にうれしかった。
信頼された事が、よりも、満足して頂けた事にです。
そして、笑顔がうれしかった。


高校生の時、友人宅をリフォームしたあの感動が蘇ってきました。


ただ、仕事をやりとげるだけでは満点じゃない。
喜んでもらいたいという気持ちを込めながら取り組まないと。


それはちゃんとお客様に伝わっているし
出来あがったものには、そういう気持ちが表れているのだと感じました。


信頼の証し


土地がら商業地でもあるので店舗のお客様もいらっしゃいます。
設備などの不具合が生じた際、店舗の方が立ち会わなくてもお店に入れるようにお店の「鍵」を何年もお預かりしています。


ある方にその事をお話しすると
「それは信頼の証しだよ」
と言われ、とても感激しました。


東日本大震災を経験して


そして今、日本は東日本大震災を経験して、お客様は「我が家の耐震は大丈夫ですか?」と「安心・安全な家」を確実に求めています。


家は最少単位で命を守る場所。


工務店は家づくりを通してお客様の命を預かっているという責任感をもって取り組まなければならない。


お陰さまで則武工務店も創業90年を迎えることが出来ました。
創業者の祖父が掲げてきた「家づくりは街づくりになる」を肝に銘じて安心・安全な家づくりを目指します。


悲しい出来事


ひとつだけ心残りがあります。


今年の春に母が急死しました。
母は家族のため、会社のため、地域のために一生懸命動き回り、あちこちで頼りにされる、人望の厚い人でした。


そろそろ会社の経理を引退させて、自分の好きなことだけできる生活をさせてあげたい、と思っていた矢先のことでした。


母も、早く引退したいと望んでいたのに、それを叶えてあげられなかった。
申し訳なく、残念でなりません。


大人になるまで心配ばかり掛けさせてしまった私ですが、兄(現社長)と二人で力を合わせ則武工務店を支え、そして地域に貢献する姿を見届けて欲しかったのです。


これからは天国で見てくれている母に心配をかけないように、「お客様に心から喜んでいただける仕事をしていくこと」が母への恩返しになると思っています。
そして毎日を精一杯生きていくことで、今度は安心して見守ることができるはずです。



株式会社 則武工務店
専務取締役 則武孝政


追伸


口下手で不器用な私ですが、お客様のご要望はご納得されるまでお聞きします。
都内の狭小住宅でも安心安全な家づくりには自信があります。是非ご相談に乗らせて下さい。
精一杯お手伝いをさせて頂きます。


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